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なぜ40歳から歴史を学び直そうと思ったのか

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英語を学び直そうと決意した際に、同時にどうせなら学び直したいと思ったのが歴史でした。

そもそも、子供の頃、NHKの大河ドラマで「武田信玄」を見て山本勘助かっこいいなと名軍師役を小学校の頃は帰りに遊びでやったりしてました。

「親方さまぁ~~!」

「勘助~~~!」

「おのれーーー!!」

ぐさっ、ばさっ、、、どたっ

「う、うぅ、む、無念」

「くそー仇は討つ」

てな感じで。

また、映画「天と地と」で上杉謙信と武田信玄の戦いを見たり、年末は忠臣蔵や白虎隊などの特番がやっていたりなど歴史って面白いなという印象でした。早く歴史の授業が始まらないものかとワクワクしていました。

年号と史実を淡々と述べるだけの授業

理想と現実のギャップに苦しむ

そして小学校の高学年から徐々に始まる歴史の授業。

胸躍らせながら受けたのですが、、、、つまらない。

なんてつまらないんだ。

あれ?歴史ってこんなにつまらないの?っていうぐらいつまらないんです。

〇〇年に▲▲が□□を平定。☆☆幕府を開く。

〇〇年、☆☆幕府滅びる。

その時は、△△文化が花開き〇〇造りが、、、、

む?なにこれ。

イメージしていたのと全く違う。

大河ドラマのドキドキ感を期待していたのに、、、百歩譲って大河ドラマでなくても、どうやったらこんなに面白くなくできるんだろう。いや自分の理解力が足りないのかと本気で悩みました。

きっと先生によるんだ。中学だと、、、つまらない。高校はさすがに、、、つまらない。

えぇーーーーーーつまんない。

てか、ただの暗記科目じゃん。

魂の入っていない人形のよう

これって、ただ紙に書いてあることを読んでいるだけで、そこにどんなドラマがあり、ここから何を学ぶのかといった事がすっぽりと抜けて落ちている気がしてなりません。

おそらくこれって目的と手段が逆転してしまった典型的な例だと思うんです。

これは社会人になってもあるあるなんですが、世の中、目的と手段が逆になっていること(人)が案外多いです。

例えば、社会人で言えば、

目的:売上げを上げる

手段:毎日進捗管理を行うためにレポートを提出する

というよくある目的と手段の設定があります。

本来売上げを上げるために進捗管理のレポートを提出するのですが、上に報告するために過度なレポート提出を上司が要求し、肝心の売上げをあげる営業活動に当てる時間がなくなる状態になるという子供が考えても分かる本末転倒の社会人あるある大事典のような状況が起こります。

つまり、会社としては、

目的:売上げを上げる

手段:毎日進捗管理を行うためにレポートを提出する

のためにやっていることが、

目的:毎日進捗管理を経営層に報告するためにレポートを提出する

手段:より経営層に響く資料にするために時間をかけてクオリティを高める

というようなことになり、あれ?そもそも目的って何でしたっけ?

というような状況に陥ります。

これを歴史の授業(これはすべての授業だと思いますが。。。)に当てはめてみると

目的:歴史から教訓を学び現在および未来に生かす

手段:理解度を確認するためテストを行う

目的については後でも、葉月なりの考えを詳しく述べようと思いますが、まぁ一般的にはこんな所でしょうか。

ただ、実際は、

目的:テストでいい点を取りいい学校に行く

手段:テストでいい点を取るために、いかに効率よくポイントを暗記するか

になっているから、あんなにつまんないのではないでしょうか。

そして記憶力のいい人はそれでいいのかも知れませんが、文脈や意味付けなどその時感じた感情の動きで覚える葉月にとってこれは苦行でしかなく、さらにこの勉強に何の意味があるのかと思ってしまうのです。

ただこれは40歳を過ぎて色々と経験をした今そう思うのであって、その頃の自分には学校の世界が全て(全世界)だったのでそれに疑問を思う自分がおかしいのだと思っていました。

歴史を学ぶ意味

自分の人生はリセット出来ない

自分の人生は1度きりです。

ゲームのように失敗したからと言ってリセットはできません。

どれだけ、人生の選択を間違えようが、病気になろうが、借金を背負うことになろうが、やり直しはきかないのです。失敗も成功も自分の人生という系譜の中で繋がっていくものです。そういった意味では成功だけでなく失敗も今の自分にとっては必要な事かもしれません。

他人の人生を追体験し、未来の自分にその経験を活かす

でも出来るだけうまくやりたいですよね。自分の人生はリセットできない。しかし他人の人生でシミュレーションして学ぶことが出来るのが歴史です。

自分の人生で出会うか分からない環境や様々な条件で、他の人がどのように考え行動したのか。そしてその結果はどうだったのかを学べるのが歴史です。

歴史にifはないですが

自分が同じ時代、同じ状況に置かれたとき、どのような判断を下すだろうか。

それを考える事が一番重要です。

歴史の結果が分かった状態で考えるのは簡単ですが、それが分からなかったとしてもなおその現場にいたら同じ判断が出来るか。そしてその時の常識で考えた時にそれでもなお現代の常識のような判断を下せるかを考えることは大切です。

人生は一度きりですが、歴史を学ぶことでいくつもの人生を体験できることになります。

型を学ぶ

歴史から不変の真理があることを学べるのではないかと葉月は思っています。

以前、中村勘三郎さんが生前のテレビで、歌舞伎で新しい事に挑戦していることについて質問され、こうおっしゃっていました。

以下、葉月の意訳もあるかもしれませんが内容は大方間違っていないと思います。

まずは基本が大事。歴史のなかで培われてきたものを自分のものにすること。それが型。

型があった上で新しい事をするから型破り。型がなくてただ新しい事をするのは型なしっていうんですよ。

葉月には、すごく印象に残っている言葉です。

何事も基礎が大事だと一流のかたは皆さんおっしゃっているので、やはりそうなんでしょう。

真の国際化とは自国を知ること

英語を学び直して気づいた事があります。

それは、英語嫌いで日本で生きていこうと思った葉月ですが、日本だけで生きていくんだったら日本の事は知らなくても何となく生きていけます。

だから、歴史つまんなかったのもありますが高校の歴史はなんとなく日本で生きていくと決めたのに国際化といえば世界史を選択しました。(劣等感の裏返し)

でも、英語で世界をまたにかけて活躍しようとしたとき、自国の歴史や文化を知らないと話せないということです。

相手が知りたいのは、相手の国や文化や風習です。そして経験は少ないですが、外国の方と話したとき自国を愛し嬉しそうに話す姿を見てこの人は信用できるなと葉月は思います。

そうなんです。英語や世界を意識した時に、逆説的ですがまずは自分の国の事を知らない事実をつきつけられたんです。

だから自分の未来を切り開くためにも歴史は必要だと感じ学び直すことを決意しました。